AnotherVision Countdown Calendar 2018

AnotherVisionメンバーによる"Countdown Calendar"を2018年もお届けします

【ヒプノシスマイク】演者の力、言葉の力、都合の力【レヴュースタァライト】

この記事はAnotherVision Countdown Calendar2018の一環の記事となっております。

adventar.org

 

こんにちは、しゅんと申します。

大学院入学間近という老害クラスの年齢でAnotherVisionに入会し、これまでなんやかんやと活動してきましたが、早いもので来年4月から社会人(予定)と、名実ともにすっかり老害になりました。

昨年はこんな記事を書いておりました。

avcc.hatenablog.com

 

さて、みなさん、アナビフェス楽しみですね!楽しんでますか?(21日分の記事だったのですが遅刻してしまいました。申し訳ありません……)色んなコンテンツが一堂に集まっていて、たくさんの種類の楽しさを味わえるのではないかと思います。

 

突然ですが、あなたはどんな種類のコンテンツが好きですか?

この質問が飛んできたとき、「映画です!」みたいな媒体名で言う人もいれば、「SFです!」みたいなジャンルをくくって言う人もいるでしょう。

僕はこの質問がすごく苦手です。なぜなら、その媒体やジャンルが好きなわけじゃないから。確かに媒体やジャンルは多くの人の共通認識がある分類法なので、言いやすいし、相手にも伝わりやすいでしょう。でも、同じジャンルでも全く興味がもてなかったり、別に好きな映画があるからと言って「映画というもの」が好きなわけではなかったりすることってあるじゃないですか。僕はあります。「ご趣味は?」に一語で答えられる奴の気がしれない

なのでその分、とっ散らかった趣味の中から一見関係ない2つを比較して、共通点を見つけようとしている、なんてことが僕にはよくあります。

今回はその中でも特に良く符合した、奇しくも最近人気を博しており、僕もはまっている2つのコンテンツについてお話ししようと思います。

 

 

レヴュースタァライトヒプノシスマイクは面白いぞ。

revuestarlight.com

少女☆歌劇 レヴュースタァライトとは、ミュージカルとアニメ(とゲームアプリ)が相互にリンクして展開する何かです。舞台もアニメも同じ役者が演じており、歌とダンス・殺陣を通して魅せる”キラめき”によって舞台装置が勝手に動き出す『レヴュー』を通じて争い、成長する舞台少女たちの物語です。

 

hypnosismic.com

ヒプノシスマイクとは、12人の男性声優による楽曲やボイスドラマ、ライブなどで展開される何かです。武力が根絶された世界で、人の精神に干渉する『ヒプノシスマイク』を使ったラップバトルで男たちが争う物語が繰り広げられます。

 

 

 

 

同じじゃん。

僕の好きの本質はここにある。

 

 

 

 

……ちょっとこれだけでは何が同じなのか分からないという方も多いと思います。何かと言っているくらいですから媒体も不定形、ジャンルはかたや歌劇かたやラップ。歌もの?というジャンル分けはできるかもしれませんが、僕は歌ものは好きではありません。では具体的に何が同じなのか、3つの観点から話していこうと思います。

 

1.演者の力

両作品に共通するポイントとして、演者がキャラクターと深くリンクしている、ということがあげられます。

レヴュースタァライトは舞台少女の物語なのですが、舞台が公演されることから分かる通り、演じているのは舞台で活躍する女優さんです。舞台をやっている人たちが舞台を志す役をするということは、それだけで説得力というか、シンクロ力が違います。役者自身の生い立ちがキャラクターの背景に重なるなど、現実世界の事象が作品世界にしみ出して表現されたり、その逆が起きたりするのもみどころです。ミュージカルやライブなど演者が直接出てくる媒体をはっきりと主軸に据えているということは、必然的に絵に描かれたキャラクターだけではなく、演者そのものもコンテンツであるということです。キャラクターを推すということは、その演者を推すことと表裏一体なのです。

ヒプノシスマイクは声優によるラッププロジェクトなのですが、2.5次元性が強く打ち出されているのが作品の端々に見られます。初の楽曲「ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-」におけるトップバッターである山田一郎の歌詞「二次元でも三次元でも俺は俺だから」には、ラップを生業とする作品世界の男・山田一郎の心情と、ラップをこよなく愛する声優・木村昴さんの気持ちのリンクが起きています。またPVを見ていただくとわかるのですが、キャラクターと同じくらいラップをする声優にフォーカスした作りになっているのが印象的です。ボイスドラマ内では時折挟まれる中の人ネタや、声優だからこそできる演技の幅が、更なる面白さを与えてくれます。

このように、キャラクターと演者が相互に干渉しあうことで、架空世界を現実世界と錯覚させ、どこか他人事ではない印象を与え、作品世界に没入するきっかけを与えているのかもしれません。ものすごく身近な例で言えば「知り合いの松丸くんが出てるからあの番組見よ」という現象と同じと言えます。完全に架空世界(知らない世界)で完結するものよりも、現実(知っている世界)にしみ出したものを応援したくなるものなのかもしれません。あるいは僕がエンターテインメントの世界を志しているので、本当にただ演者が他人事ではないというだけかも。

僕がただ単純にメタとか作り手視点が好きというのはありますね。映画とかでもストーリーより制作秘話が気になったりするし。

 

2.言葉の力

レヴュースタァライトは歌いながら武器を振るい戦います。その時の感情が発露した即興という設定(?)でミュージカルが繰り広げられます。歌詞の文脈的な内容はもちろんのこと、歌い方や言葉の選び方なども舞台少女によってさまざまで、それらの要素に呼応するように舞台装置が動いていきます。それに加えてキャラそれぞれに名乗りというのが存在し、都々逸のようなリズムを刻み時折韻も踏みながら、自分の想いを語るところは技巧的かつかっこいい。

ヒプノシスマイクでは、もちろんラップがうまいやつが強いという設定なのですが、マイクを通した言葉が人の精神に干渉するという性質から、ラップの技量が攻撃力、自らの精神力が防御力のような役割を果たしています(という解釈を僕はしています)。ラップバトルに勝つためにはただ思いの力がどうこうみたいな熱血力技精神論ではなくて、ちゃんとテクニックを要するのです。

両作品に共通して言えるのは、この辺の技巧を現実世界で考えているのはバックにいるクリエイターですが、作品世界的にはまぎれもなくキャラクター自身が考えているということです。つまりこの2作品のキャラクターはただ思いのたけをがなりたてているわけではなく、全員言葉大好き韻踏みたがりクリエイター気質なのです(?)。

さらにどちらも、それだけでは無力な「言葉の力」を、『レヴュー』や『ヒプノシスマイク』という装置を介して物理世界に顕現させることに成功しています。これらの作品世界では言葉の価値が非常に重いのです。昔から言葉遊びが大好きだった僕は、こういう言葉が尊重されている世界が大好きです。

 

ちょっと余談ですが、これらのキャラクターたちはただの韻踏みオタクではなく、ちゃんと「パンチライン」を意識して言葉を紡いでいます。 よくTwitterで「○○と××で踏める」みたいなことを言ってる人を見かけますが、重要なのはそこではなく、その2語を文脈に乗せて踏めるかだと思うんです。いや、気恥ずかしいし面倒くせぇからしないのは分かるけれどもねぇ。ちゃんと流れの中で韻を踏め。ただ並べてるだけじゃしんどくね?

 

3.都合の力

『レヴュー』と『ヒプノシスマイク』に共通することは、ミュージカルやラップなどの表現が勝ち負けと直結しており、物語中頻繁に登場してしかるべきものとして受け入れられているということです。

世の中には、ご都合主義という言葉があります。人は突然歌って踊りながら剣を振り回したりしないし、喧嘩が発展しても突然韻を踏み始めたりしません。通常ご都合主義というのは批判されがちな要素ですが、レヴュスタやヒプマイでは、「ご都合」を積極的に発生させるシステムが用意されています。

 

レヴュスタでは何か夢をかなえる(「運命の舞台に立つ」)には『レヴュー』で歌って踊るしかありません。レヴューはキリンという超常的な存在によって高頻度で開催されており、当然全員が全力でレヴューをするほかないという世界観が作り上げられています。

ヒプマイの世界では武力が根絶されている(どんだけ雑な設定だよと思いますが)ので全ての争いごとに『ヒプノシスマイク』が登場します。当然ラップをするしかないのでコンテンツの大部分は必然的にラップになります。

僕は多少であればロジックを無視してでも作者の「これがやりたかった」を受け取りたい「ご都合主義否定派に否定的な立場」なので、ご都合そのものを真っ向から肯定するこの設定とはなかなか相性がいいと言えます。それは裏を返せば「見せ場に全力を尽くすぞ」という作り手側の方針であり、「見せ場をたくさん作るぞ」という意志でもあります。

 

謎解きとの共通点

ここまで3点述べてきましたが、これって謎解きにも当てはまることなんですよね。だから僕は謎解きが好きになったというか。

まず演者の力。「フェス」にも言えることですが、謎解きにおいてはやはり公演や周遊といったリアル系のイベントが人気の高い形式として楽しまれていると思います。パッケージ化されたコンテンツをなぞるだけではなく、生身の人間であるスタッフ(演者ともいえる)の熱量を直に感じることで、体験がより豊かなものになるというのはきっとみなさんも感じていることと思います。 

そして言葉の力。謎解きでは言葉を使ったひらめきと驚きが非常に多いと思います。制作者側は技巧を凝らして言葉を加工し、プレイヤー側はそれを紐解いて「スゴイ!楽しい!」という感情を得る。謎解きはある種、制作者とプレイヤーの言葉遊びコミュニケーションの媒体として機能しているのではないでしょうか。

最後に都合の力。謎解きはどんなストーリーであれ何をどうこねくり回してもすることは一つ、「謎を解くこと」です。ご都合の作り方はコンテンツによって様々ですが、ただ一つ言えるのは、「謎解きイベントに行ったら確実に謎が解ける」、ということです。

 

まとめ

ここまでの話で、僕が2つ(+謎解き)を同時に好きになったのは偶然でないことが分かってきました。みなさんの中には、「なんで男性向けと女性向けを同時に好きになるの」とか「結局はアニメなら何でもいいんでしょ」とか思っている方もいたかもしれません。しかしレヴュスタもヒプマイもそういうことじゃない何かで出来ている作品なので、(特に現在片方だけ好きという方は)食わず嫌いせずに両方チェックしてみることをおススメします。

そして、「何が好きか」という問いに対しての本質的な答えは媒体でもジャンルでもなくこういう所に潜んでいると思うので、そういう話をいろんな人と語りたいと思っています。「そうそう、そういう話をしたかったんだよね」って人がいましたら、僕といろいろ語り合いましょう。