こんにちは。はじめまして。たうです。
ほとんどの方がぼくのことを知らないと思うので自己紹介をさせてください。
名前:たう
所属:AnotherVision(5期)
制作:
ヒエラルキアトライアル、
ジブンノキキサッチ(ディレクター
*1)、
『今夜はナゾトレ』シリーズ(放送、書籍5巻最終問題) など
担当:謎制作(主に大謎や中謎/小謎も作る)、実装、ストーリー構築、テキスト
簡単にそれっぽいことを書いてみました。これで自己紹介は十分かな──と、ここでたうの灰色の脳細胞に電流が走る!
自分の名前と、これまでに作ったものと、そこでしていたこと。それらを書いたこの文章って、果たして「自分」を紹介できているの?
もしかしたらこれではぼくのことを紹介しきれていないんじゃないだろうか。ぼくのことを誰もわかってくれないんじゃないだろうか。
そしてそれは、ぼくがひとりぼっちであるということじゃないだろうか。
今日はクリスマスイブ。
人々がそれぞれのパートナーと友誼を深める日だ。だというのに、ぼくはひとりぼっち? あんまりじゃないか。
ひとりぼっちで記事を書くぼく
……でも、もしも皆にぼくのことを知ってもらうことができたなら。もしも皆がぼくのことをわかってくれたなら、ぼくはきっとひとりじゃない。
そう。今年のクリスマスイブ、皆のパートナーはこのぼくだよ────
*2
皆に囲まれる幸せなぼく
よし。そうと決まればこの記事でぼくのことを皆に紹介していくしかない。
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「たう」について、お話しします。
みんな 「たう」って、知ってるかな? 「たう」というのはね たとえば いっぷうかわったパズルを 実装すると 「気持ちがいい」とか あるいは 重厚な物語を 編み出すと 「気持ちがいい」 といったことを 「たう」というんだ。
今 たうを しらない子は これから先 たうを しっていくようにしようね。今 たうをしっている 良い子は ほめようね!
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……自己紹介って意外と難しい。こんな文章でぼくのことをきちんと伝えられているんだろうか?
??「悩んでいるようだね!」
き、きみは!?
??「ぼくはたうの心の中にいるたうの友達。『うた』だよ!」
ネーミングセンスが安直すぎる。
うた「何か悩んでいるんでしょう? 相談にのってあげるよ!」
ならせっかくだし聞いてもらおうかな。
ぼくはぼくのことを皆にもっと伝えたい。でも伝え方がわからないんだ。どうすればいいのかな……。
うた「君がどういう人間かをわかりやすく伝えればいいんじゃないかな!」
どういう人間なのか、か。なるほど! でもそれってどうすれば伝わるんだろう?
うた「どういう考え方を持っているか、なんてどうかな! 人は考える葦だって言うし、考え方を伝えれば君がどういう葦なのかしっかりわかってもらえると思うよ!」
いやそれ比喩だから。ぼく葦じゃないからね。
というわけでぼくの制作精神を長々と
*3書き連ねていきます。
それじゃあぼくが制作するものに準じて話してみましょう。
ならば、ということで最初は実装するときの考え方について話そうかなと思いついたんですが、よくよく考えたら実装について話すことなんて大してない
*4んですよね。
じゃあ実装についてはべつに話さんでもええか? ええであり。
それなら謎について話す? でもこの記事読んでくれる人からすると今更かよって思われそうですよね。というか話せるほど経験豊富でもないです。
「あ、それ◯◯が同じこと言ってたよ。二番煎じ乙」だとか「にわかがなんか言ってるぜオイオイ」だなんてコメントがついたり
ツイッターで引用ツイートされたりなんかしたら、クリスマスイブをベッドで泣いて過ごすことになってしまいます。
じゃあ謎制作についてもべつに話さんでもええか? ええであり。
というわけで、制作におけるストーリー構築・テキストについて話します
*5。
自分でいうのもなんですが、ぼくはストーリー構築やテキストの作成に関しては一家言あります。……いや本当に自分でいうな。
まあ流石に一家言あるという表現は過言になるにせよ、少なくともこれらの経験に関してはAnotherVisionの中でも有数の歴と量
*6を持っていると自負しています。
それに加えてこの界隈の中ではストーリーやらテキストやらに限定して焦点を当てる機会なんてただでさえ少ないわけで、こういう書きたいことを書ける機会がめぐってきて実は結構テンションが上がっています
*7。
ここまで来て未だに本題に入ってもいないことを鑑みれば察しがつく通り、書きたいことを全部書いていると本当にこの自己紹介が終わりません。
まあ、それを織り込み済みとしていただいた上でここで制作中考えていることや気をつけていること全部をつらつらと話してもいいんですが、それだと記事の途中で飽きてしまいます
*8よね。
なので、この記事(つまりぼくの自己紹介)ではストーリー・テキストについての中でも書くことをさらにしぼって明確化するために、1つテーマを決めてみました。
これから皆さんには、この『
中二病』に関する3つの質問をします。
これからの話はこの3つの質問に沿って話していくので、記事をお読みの方は一旦ここで立ち止まっていただければと思います。
そしてぜひちょっとでも「あなたの回答」を考えてから、読み進んでください。
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それでは、問1から順に話していきましょうか。
問1:中二病ってどんなものですか?
ようやく話が始められますが、本題まではまだ少しあります。どうぞしばらくお付き合いください。
さて、『
中二病』。この単語を知ってる人は今では少なくないような気がしています。
そんな方もいることでしょう。それに対してggrksと一蹴するのもどうなのと思うので、ぼくの方で
google大先生にお尋ねしてきました。
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ちゅうに-びょう[ビヤウ]【中二病】思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどを指す。名称は、その年代の子供が抱きがちな心理状態であることから、一過性の病気に見立てたもの。
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わけわからんが過ぎる説明文なので、さしあたり要点らしき部分だけ持ってきてみます。
『過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄する俗語』。
ここだけみてみると、よくわからないのは「過剰な自意識」そして「それに基づくふるまい」の2つの箇所だけじゃないでしょうか?
それではこの2つについて少し詳しく触れてみましょう。
注:以降、たうの個人的な解釈を多分に含みます。特にこの記事で扱う『中二病』はたう個人の意味付けに拠るものとなります。ガバガバ論理を笑って受け入れられる方のみお読みください。
まず、過剰な自意識ってなんや……?
我らが国語辞典の金字塔、
広辞苑先生の言うところでは、
か_じょう【過剰】
必要な、または適当な数量や程度を超えていること。多すぎること。
じ_いしき【自意識】
自分自身がどうであるか、どう思われているかについての意識。
とのこと。
それっぽくつなげてみると「自分自身がどうであるかの意識が適切な程度を超えているさま」のような感じですかね。
なるほど、こうなると少しは想像がつきます。
わかりやすく極端な例を出してみましょう。
中二病をこじらせると「実は俺は魔界皇子が死の淵に発動した大魔術で転生した存在で、ありとあらゆる闇黒魔術を操る闇と死の支配者(ダークネスロード)なんだ」などという、自分はこういう存在だという意識が実際の自分の程度を超えた状態におちいるわけです
*11。
闇と死の支配者
つまりわけわからんワード2つ目に並んでいた「それに基づくふるまい」とは、過剰な自意識が作り出した『設定』に従ってなされる行動ということになります。
前述の例だと、街中で暴漢を見かけたときにその暴漢に対して「それ以上はやめておけ。この†暗黒の魔界皇子(コキュートス・インペリアル)† アレクシス・ヴァン・
レオンハルトの闇の力で葬られたいのか?」と包帯を巻いた右腕で片眼を隠しながら声をかけるような行動ですね
*12。
暗黒の魔界皇子
世間一般では
中二病というとこのようなものを想像しがち
*14ですが、ここからは少し趣向を変えて、普段あまりそうとは認識されていない
中二病について述べます。
認識されてない
中二病って、なんや……? となった方、正解です。というのもこの
中二病は普通に考えればそもそも
中二病という枠に入れられることはないだろうからです。
今日はこの、一風変わった
中二病について皆さんにお伝えすべく記事を書かせてもらっています。
ようやく本題です。本当にお待たせいたしました
*15。
ぼくが話したいそれは、謎解きイベント制作における
中二病。
制作者が罹ってしまうそれの中でも、特にストーリー・テキスト担当のものについてです。
こう表現すると罹るという言葉や病という接尾辞の印象のせいで悪いイメージが付きそうですが、ぼくはそれをある種好ましいものとして考えています。
先程言ったとおり、ぼくの要約
*16した
中二病の意味とは「自分自身がどうであるかの意識が適切な程度を超えているさま」です。
これがどう好ましいことに繋がるのか。
まとめると1点に尽きます。
物語の中に「自分」を作り出すことができる。
つまり、
中二病のストーリー・テキスト担当が作業をするとき、それは「イベントを作っている」のではなくその世界の中で「リアルに自分自身の行動を反映している」のです。
自分は今この世界の中にいる。こういうことが分かっている。ならば自分はどのように行動するとよいだろうか? そしてこの謎を仕掛けた人物はなぜこのような行動をしたのだろうか? こういう理由があるとすると、その人物がするであろう次の行動は──。
このように、「世界の中にいる自分」に違和感なく没入する、してしまう人間。
自分の価値観すらも捨て去ることを躊躇わず、どんな対象にも成ってしまう。そんなものは、もはや神の視点といっても過言ではない
*17。
これこそがぼくの思う
中二病であり、ストーリー・テキスト担当の罹ってしまう
中二病なのです。
「ぼくの回答」1
神に至る病。
ストーリー・テキストマンの罹る、神に至る病──
中二病。
神云々はさておき、ストーリー・テキストの制作に携わる者にとってこの病は、実は『よい』コンテンツを作る有用なファクターとなります。
というのも、先の項で触れた通りこの病の罹患者は作品中の人物として振る舞えるからです。
そしてそういった振る舞いは、ストーリーの制作者にある利点を与えるのです。
物語性。
ことこの分野において、
中二病はクリエイターにとってこの上ない武器になります。
これは実際ぼくもそのように思っていて
*18、またこれら双方を作り出すのがクリエイターの目標になるわけです。
クリエイターというと主語が大きすぎるので言い直しますが、少なくとも僕にとっては目標になります。
そして無理やりこの2つにコンテンツの要素を振り分けるのならば、テキストが作り出すのが”with a story”の要素、ストーリーが作り出すのが”storytelling”の要素だとぼくは思います。
ここからはこの2つについて掘り下げてみます。
テキストと”with a story”
まずはテキストについてお話ししましょう。
物語性の一部である“with a story”。別の言い方をすると『ドラマ性』と言えるかもしれないそれは、テキスト担当の腕の揮いどころです。
なぜドラマ性をテキストマンが左右するのか。
それは、テキストはプレイヤーが受け取る絶対の信頼情報であり、物語の第一印象であるからです。
ストーリーの中で明確にことばとして問題や障碍、そして現状や解決策を提示するテキスト。プレイヤーはこれを見てストーリーの流れを追っていくわけです。
つまり、プレイヤーが見るストーリーの印象の大部分はテキストによって形作られる。
ゆえにテキストこそはプレイヤーの感じるドラマ性に大きく関わります。
極論を言いますが、拙いテキストの伝える最高のストーリーは、最高のテキストの伝える未完のストーリーに劣ってしまうのです。
少し話が逸れてしまいますが、分かりやすくするために実際に例を出してみましょう。
異なるストーリーでは比較することが難しいので、今回は同じストーリーでもテキスト1つで印象が大きく変わるということを見てみたいと思います。
ここでは昨日まで #アナビフェス で再演されていたヒエラ
ルキアトライアルという謎解き公演の告知に用いられたSTORY文
*19を、実際のものとそうでないもので2つ並べてみます。
・実際には使われていないテキスト
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あなたはこれから〈選別試験〉を受けることになった。
〈選別試験〉は難しい試験だ。これはかつて超高性能なAIの作った試験で、人間たちを階級ごとに分けていくことで管理社会を作り出すものだ。40分経って試験が終わるとき、もしも成績が悪ければ奴隷になってしまう!
あなたは謎多き試験を突破することができるだろうか?
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・実際に使われたテキスト
───────────────
20XX 年、一台の AI の登場で世界は一変した。
〈選別試験〉を用いて人間を三つの階級に分類する。その制度は、特権階級と労働者階級の間に絶対の格差を生んだが、その分『効率的』で『生産的』な管理社会が成立したのだ。
──時は経ち、2X17 年。あなたの運命を決める〈選別試験〉の、開始のチャイムが鳴る。 試験終了まで、あと 40 分。
この試験の全ての謎を解き明かし、未来を切り拓け!
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どうでしょうか。
実際に使われているテキストの方が、情報の順番や出し方によってストーリーがわかりやすく、またより臨場感をもって伝わってきませんか?
この実際に使われたSTORY文では序次法というレトリックが使われています。
この序次法とやら、名前こそ大仰ですが中身は大したことはなく、ただ「順番を崩さないように書く」というものです。
たとえばテキストの対象。STORY文では、
世界全体のこと(AIの登場)
↓
〈選別試験〉のこと(管理社会の成立)
↓
試験に臨む「あなた」のこと
とプレイヤーに遠い順番で書かれています。
あるいは年代。これも、
20XX年(AIの登場)
↓
間の期間(管理社会の成立)
↓
2X17年(「あなた」の〈選別試験〉)
と時系列順に並んでいますね。
一方で使われていないテキストではこれらの順番が守られていません。対象も年代もあっちへこっちへと前後しています。
いきなりなんの話なんだ、という感覚も拭えないまま次々と情報が並べ立てられている状態ですね。
ストーリーの中に入るどころか、造られた設定を聞かされているだけという印象を感じる人もいるかもしれません。
そう。
たかがテキスト、されどテキストなのです。
謎がどれだけ良いものだったとしても、持ち得たドラマ性をテキスト1つで簡単に損なってしまいうることが上の例で分かっていただけると思います。
さらに言えば上述のテキストは告知文。これだけ印象を変える力を持っているというのに、コンテンツ外のものです。
作品内部でのテキストがプレイヤーの感じるドラマ性に対してより大きな影響を持つことは言うべくもないでしょう。
ここで再び本題に戻ってきます。
ドラマ性と密接に関連するテキスト、それを書く上で
中二病は武器になるという話です。
なぜか。
先にも述べた通り
中二病に罹ったテキスト制作者は作品中の人物としての視点を有しています。
「この文章を書いた人物はどのような考えで何を伝えようとして書いたか」
「この文章を読む人物はどのような受け取り方をするか」
つまりこの2点を常に意識できるということです。
これは本当に大きなメリットで、特に後者はプレイヤーと同じ目線になった上でテキストの推敲を重ねることができるというクリエイター垂涎もののスキルです。
作品世界の中の視点から物語を見ることは、簡単にできるように見えて実はかなり難しいことです。
これを苦でなく自然に行える
中二病は、テキスト制作という観点ではもはや「才能」と言い表すことができるでしょう。
ストーリーと”storytelling”
それでは今度はストーリー制作について話しましょう。作品のストーリー制作は物語性の”storytelling”の部分を司ります。
先の”with a story”をドラマ性と言い換えるなら、こちらはリアリティと表現するのがよいでしょうか。
さて、皆さんはどんな時にリアリティを感じ、あるいは感じないでしょう?
一人ひとり異なる答えが返ってくることと思いますが、ここではこう考えてみます。
リアリティとは、受け取り手の想像の産物である。
どういうことか。
受け取り手とは謎解きだとプレイヤーにあたります。
そして謎解きにおけるストーリーのリアリティは、プレイヤーがストーリーから受ける印象を膨らませたものと、ストーリーの展開に整合性があるときに生まれるものだとぼくは思っています。
そしてこのリアリティをプレイヤーが味わうために必要な要素は2つ。
1つはプレイヤーの持った印象から乖離しないストーリーであること。
この点については先ほどテキストについて話したこととほとんど同じですね。ここでも
中二病は大いに関わってきます。
中二病制作者は単に一本造られただけのストーリーでは満足できません。実際にそのストーリーの登場人物になって自然な行動が取れているかどうかを考えられるのですから、流れに乗った展開を作り出すことに関しては一流です。
そしてもう1つは、プレイヤーをストーリーの中に没入させて「どういうストーリーが続いて行くのか」と考えさせること。
──つまり、プレイヤーすらも
中二病に感染させてしまうことです。
……疾病も来るところまで来たという感じです。
自身に影響を与えるだけでは飽き足らず、他の人々へと症状を拡散させるように患者自身が動くこの疾病は、
感染症としては強力な部類に入るのかもしれません。
これは、受け取り手が物語を作品外から醒めた目で見ていては作品がどれだけ練りこまれていても立て板に水のようになってしまうからなのですが、
中二病の制作したストーリーを十全に味わってもらうためには受け取り手もまた
中二病でなければならないというこの構図が
中二病の感染拡大にどれだけ大きく寄与しているかが窺い知れます。
そして受け取り手を
中二病に感染させてしまう一番の要因はもちろん、
中二病であるストーリー制作者の尽力です。
プレイヤーが「のめり込んで」くれるように、分かりやすくかつ魅力的な導入部や不穏さを匂わせる緊張感全開の展開、さらに大きな意外性を組み込んでなお全員の納得できる大団円に続いていく結びを全力で構築することこそ、
中二病を患っている制作者の最も楽しい仕事というものでしょう。
思わず入り込んでしまうような、入り込みたくなるようなストーリーを作ることが、ストーリー制作に携わる者としての大きな目標なのです。
いわゆる「説得力のある」物語を作り出しているのは、
語り部たる
中二病患者の仕事意識に裏打ちされた、毒性の強い感染力だと言えるわけですね。
「ぼくの回答」2
悪質な流行病。
これまでにぼくの関わったことのあるコンテンツについて少し触れさせてください。ネタバレはなしの、ちょっとした
*20制作裏話みたいな感じです。
隙がなくても自分語りをする項になるので、鬱陶しいという方は最後まで飛ばしていただいても構いません。
いくつか制作に関わったものはあるんですが、その中でもストーリー・テキストの制作に大きく関わったのは昨年度の
駒場祭公演ヒエラ
ルキアトライアルと、知る人ぞ知る問題作ジブンノキキサッチの2つです。
そしてこのどちらもがありがたいことにストーリーに評価をいただいております。
ストーリー・テキストの制作にあたって、この2つでは終始自分に問うていたように思います。
1つの単語が、1つの文章が、1つの章立てがどのようにプレイヤーの心に影響を与えるか。
どのようにそれらを組み合わせたら最高の体験を味わってもらえるか。
当然これらのコンテンツの制作チームはぼく1人ではなく異なる考えを持った人々もいたわけで、時には盛大に衝突をしながら
*21、意見を出し合って作っていました。
その結果としてお客様からいただいた「世界観が好き!」というコメントはぼくにとっては本当に嬉しいもので、今はみなさんにそう思ってもらえるよう作っている側面はかなり大きいかもしれません。
ストーリー構築にテキスト制作。
普段注目されることの少ないこの分野について
中二病というテーマでこれまでつらつらと論を述べ、やたら
中二病というものを大仰に語ってきましたが、もしかすると
中二病というのは意外に単純なものなのかもしれません。
物語がとても好き! 他の人にもそれをわかってもらえると嬉しい! だったらそれを伝えられるようにいっちょやったろうか!
中二病っていうのは、案外そんなものなのかもしれませんね。
そしてストーリー・テキストマンという希少種も案外、そんなわかりやすい人種なのかもしれません。
皆さんはどう思うでしょうか?
「ぼくの回答」3
明日の担当はAnotherVisionが誇るヒットメーカー、epoch makerです。