AnotherVision Countdown Calendar 2018

AnotherVisionメンバーによる"Countdown Calendar"を2018年もお届けします

寛容な正しさ

こんにちは。AnotherVision 4期のコプライムです。

「コプライム」というのは「互いに素」という意味の数学用語で,数学好きが高じてハンドルネームにしてしまったというわけでございます。

 

大層なことを言える身ではありませんが,数学の魅力の一つは,「基礎を厳密に確立しているからこそ自由な世界を展開できる」ことにあると思っています。

例えば「虚数」は文字通り“実在”しない数とされていましたが,現代数学の基礎の上において複素数は様々な形式的手法で定義できて,実数の範囲だけでは見えない世界を見せてくれます。

つまり,正しさが明確に定まっているからこそ,それを満たす限り何をしても許され,自由な世界が広がるのではないかということです。

 

似た例として,「なぞなぞ」を挙げることができると思います。

常識的に考えてフライパンはパンではありませんが,なぞなぞにおいてはフライパンはパンだということになっています。

なぞなぞの持つ言葉遊び的な正しさが確立されているからこそ,一見奇妙な「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ」のような問題が成立し,ユーモアに溢れた世界が生まれるのではないでしょうか。

 

では,「一枚謎」はどうでしょうか。

一枚謎においては,言葉遊びだけでなく法則が成立したり図や記号が意味をなしたりなど,色々な正しさが「納得できるか」という漠然とした基準により緩く繋がっていて,正しさが漠然としているゆえに意外な正解が導き出されるのが特徴となっていると思います。

一方で,その漠然とした正しさは初心者には理解が難しかったり,過去の傾向に振り回されたりする節もあるように思います。

この漠然とした一枚謎の正しさを適切に管理できるかどうかが,一枚謎の意外性に溢れた世界を守る上で重要な課題となるのではないでしょうか。

 

一枚謎の正しさを共有する

「納得できるか」というシンプルな基準ゆえなのか,初心者にも理解できることが自明視されている風潮も感じますが,そもそもどういう基準で納得しているのか,初心者には理解が難しいようです。

実際,「①,②,③のような空欄が複数あったら同じものが入るということが伝わっていない」「そもそも何をすればいいか伝わっていない」などの話も聞くので,一枚謎には特殊な文脈があるということをまず念頭に置くべきだと思います。

初心者の人には「謎がどういうものか分かるには慣れが必要」と説明して,実際の問題を何問か見て理解してもらうのがいいのではないでしょうか。

そして,謎を解く人全体で正しさをどう共有するか,ということについてですが,漠然とした正しさの感覚を共有するのは現実的には無理があるように思います。

初心者にも理解できるレベルのものだけが一枚謎の正しさだと考えて制作するしかないのかもしれません。

 

一枚謎の正しさを適度に保つ

一枚謎には「イラストは言葉に変換する」「とりあえず五十音表を考える」などの傾向がつきものですが,このような傾向が強すぎると,傾向に当てはまる考え方が自明になっていき,正解の意外性が薄まりかねません。

それだけでなく,イラストを言葉に変換しない問題のように傾向から外れた問題は,相対的に納得度が下がり,それでも正しいといえるだけの根拠を用意する必要が出てきて,意外性のある問題が作りにくくなってしまいます。

ではどうすればいいかということですが,正しさが感覚的なものである以上,それを思い通りに操作するのは困難に思われます。

正しさを適度に保つには,過剰な傾向を作らないようにすること,そして初心者に理解できるレベルまでの正しさの中で制作すること,これを地道にやり続けるしかないのかもしれません。

 

 

正しさは,適切に利用すれば,制約になるどころか,自由な世界を切り開くものだと思います…そんな風に正しさを使いたいものです…。

そして何かを否定したり断罪したりするより,何かを許容し肯定するのに正しさを使えたら…。